指針 晴れわたる「5月3日」へ共々に!
2013年4月28日(日)更新:4
【本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 (2008年4月のスピーチ)】
《創価の師弟の勝利を見よ 「よき世界市民」の連帯で世界を包め》
●海外の皆様!
遠いところ、お疲れのところ、本当にご苦労さま! ありがとう! 感謝します。
●あらためて、遠くから本当に、ようこそ!
皆で立って、もう一度、拍手を送りたい。
ご苦労さまです!
全同志の皆様のおかげで、皆様の力で、真剣さで、戦いで、5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」を晴れ晴れと迎えることができます。
おめでとう!
〈配達員の皆様に心から感謝を!〉
●そして、配達員の皆様方!
皆さんは、一番、地味で、一番、大変だ。配達を経験した私には、よくわかる。
暑い日も、寒い日も、雨の日もある。お腹がすいている時もある。朝早く、多くの人は、まだ寝ている。
そこを飛び起きて、聖教新聞を配ってくださる。尊い決意なくしては、本当に、できないことだ。
配達員の方々のご苦労がわからなければ、また、配達員の方々に深く感謝する心がなければ、真実の広宣流布の指導者とはいえない。
ほかのだれでもない、広布のために動いた人に大功徳がわく。
その人が勝利者なのである。
●「創価の宝」の芸術部の皆様!
凛とした声も心も素晴らしい。
いつもご苦労さま!
ありがとう!
●皆さんの活躍は、世界の同志の喜びである。これからも皆で応援してまいりたい。
●今や、わが創価の「平和」と「文化」と「教育」のスクラムは、全世界に、悠然と大きく広がっている。
北極圏につながるシベリアの大地、ロシアのサハ共和国でも、創価の友の前進が始まった。
南アフリカの南西端・希望峰の町でも、創価の連帯が広がり始めた。
南米アンデス山脈の標高3000メートルを超えるペルーの高地でも、創価の哲学が輝き始めた。
わが創価の同志は、よき市民、よき国民、よき世界市民として、社会に貢献している。舞台は全世界である。すごい歴史である。
●「上行菩薩は末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国ごと、人ごとに弘めるのである」(御書1239ページ、通解)
大事な御聖訓である。大聖人の仰せ通りに広宣流布をしているのは、創価学会以外にない。
これからの新しい広宣流布の前進にあっては、皆さんは、どこまでも、まじめに生き抜き、真実の広宣流布の闘士として戦い抜いてもらいたい。
●これまで私は、世界の指導者と1600回を超える対話を重ねてきた。
あらゆる分野の第一人者と対話してきた。
その対話は、世代を超えた広がりを持っている。民衆の平和への願いを世界の指導者に訴えてきた。こうした対話を、心ある識者は高く評価してくださっている。
ともあれ私は、戸田先生、牧口先生の遺志を受け継ぎ、日蓮大聖人の根本の精神に直結する行動を重ねてきた。皆さんもこの後を受け継いでいただきたい。
諸君全員が、本物の弟子として立ってほしい。「心こそ大切」である。
決意も行動も、「心」から起こる。決して格好ではない。
私たち創価の友情の連帯は、大宇宙をも包みながら、全地球に広がってきた。うれしいことだ。
最高に誉れ高き、晴れがましい5月の3日を、全世界の友と喜び合いたい。
喜べる人は、幸福である。喜んで生きる信心、そして、悪い人間とは戦う信心で進みゆこう!
《報恩こそ人生根本の道 「忘恩から社会の乱れが生ずる」――戸田先生》
〈学会の前進は現代史の奇跡〉
●日蓮大聖人は、明確にこうおっしゃっている。
「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた」(同491ページ、通解)
仏法の根幹、人間の根幹の道は「恩」である。戸田先生は、このように、有名な指導を残された。
「現在の世相を見ると、人の道である知恩・報恩を貫く者は、ごく稀となってしまった。忘恩から、社会の乱れが生ずるのである」と。
生み育ててくれた「父母」の恩を忘れてしまえば、家庭は乱れる。当然のことだ。
さまざまな「恩」のなかでも、とりわけ大切な、根本の「恩」とは何か。
それは「師恩」、すなわち、仏法を教え、人生の規範を示す師匠の恩である。
報恩に報いるための要諦は何か。
不惜身命で広宣流布のために戦うことである。
大難が競い起ころうとも、身命を惜しまず、邪悪と戦い抜く。そして、正法を弘めて、人々を救っていく――これこそ、師恩に報いる真の道なのである。
その通り、一分の狂いもなく、創価の三代は、健気な真実の同志とともに、戦い続けてきた。
「師恩に報いる」という根本の道を示し切ってきた。
だからこそ、現代史の奇跡とうたわれる、世界広宣流布の時代が開かれたのである。
〈師子奮迅の努力〉
●戸田先生は晩年、慟哭しながら、語ってくださった。
「大作は体が弱いのに、師匠である私のために、これほどまでに、命を削って、言語に絶する師子奮迅の努力をしてくれた」
亡くなられる直前、固く手を握られ、「ありがとう」「ありがとう」と言ってくださった。
私が、先生の後継の第3代に就任したのは、昭和35年(1960年)の晴れわたる5月の3日。
妻はこの日を、わが家の葬式と覚悟した。
以来、1年また1年、戸田先生からいただいた命で、私と妻は、あらゆる三障四魔に打ち勝ってきた。
今日の学会を築き上げた。
私は、大聖人の御加護をいただき、ますます健康で、全世界の指揮をとり、学会を守っている。
だれ人も想像できなかった姿であろう。
この厳然たる師弟の勝利の姿を忘れることなく、勝ち進んでいただきたい。
こう申し上げ、私のスピーチを終わります。
(ここで名誉会長の導師で題目を唱えた)
長時間、ご苦労さま。
ありがとう!
お元気で!
(聖教新聞 2013-04-24)