信仰体験 ここからが勝負 諦めない!

2013年4月29日(月)更新:1
【再起のドラマ 細菌性髄膜炎と闘う――勝利目前、脳梗塞を併発】
〈快方へ向かう〉
●“何かおかしい”
 2003年(平成15年)の暮れ、木村さんは、体の異変を感じた。
 熱が下がらず、せきが止まらない。ひどい時には平衡感覚を失い、歩くことさえ、ままならなかった。
 翌04年2月22日深夜。木村さんを、悪寒と40度近い高熱、割れるような頭痛が襲った。さらに強烈な吐き気が。
●早朝、地域の救急病院に駆け込んだが、診察中に意識を失ってしまう。
●「鼻の奥の粘膜に付着していた菌が血管に入り、脳や脊髄にも達しています。細菌性髄膜炎です。さらに敗血症を併発し、重度の全身感染症を起こしています」
 菌を死滅させるための抗生剤が投与されたが、原因菌の特定に時間がかかった。
●池田名誉会長の指導を、意識のない夫に読み聞かせた時のこと。
 「夫の目から、涙が流れたんです。ああ、夫も命がけで闘っているんだ、と思いました」
●その2日後、木村さんは反応を返すように。意識がはっきりと戻ったのは、3月中旬のことだった。この頃には、敗血症も完治。4月まで続けられた抗生剤治療の効果で、細菌性髄膜炎も快方へ向かう。
●徐々に会話ができ、食事もできるまでに回復。

〈再び絶望の底へ〉
●入院して1カ月余りが過ぎた4月初旬。以前と同じように話せるまでになった木村さんのろれつが、急に回らなくなった。左顔面もまひ。
 “ここまで回復したのに、一体、どうしたんだ?”●「敗血症と細菌性髄膜炎の合併症状によって起きた、脳梗塞です」
●木村さんのショックは大きかった。勝利を目前にしながら、再び、絶望の底に突き落とされたような敗北感に包まれた。
 左半身の機能が奪われていく。立つこともできない。激しい頭痛と高熱が続く。目の焦点が合わず、目の前の物がつかめない。握り損ねて落とした物を拾おうとして、ベッドから床へ倒れ込んだ。
 社会復帰できる、と膨らんだ希望が消えてしまった。悲嘆と怒りと不安。焦燥。諦めさえ感じていた。そんな木村さんを鼓舞したのは妻・由美さんだった。
 「つらいのは、お父さんだけやない。子どもも地域の同志も、お父さんの再起を必死に祈っているのよ」
●現実を受け止められず、自己中心になっていた弱い自分が、恥ずかしく感じられた。
 地域の学会員の「諦めたらあかん!“絶対に勝つ”信心やで」との叫びのような励ましが耳に響いた。
 “そうや!こんなままで、負けてたまるか。勝負はここからや!”
 木村さんの“病魔”との真の闘いが始まる。

〈一歩でも前へ〉
 再起への一歩は、箸を握ることから始まった。胸中で唱題しながら、指に力を込めた。握れない。再び挑戦する。さらに……。限りなく反復動作を繰り返す。それをあざ笑うかのように、箸は指から落ちた。
 “ダメか……”と折れそうになる心を、何度も震い立たせた。その執念が実を結んだのは1カ月後。箸を握り、物をつかめるまでになったのだ。
 歩行訓練も、気の遠くなるような挑戦の連続。最初は支えてもらい、何度も何度も、倒れては必死に歩行器にしがみついた。一歩を踏み出せたときの喜び。つえを支えに歩けた達成感。限りない一歩の積み重ねが、再起へと向かっていく。
 やがて頭痛も熱も治まり、2時間の外出許可が出た。
 由美さんと一緒に、本部幹部会の中継行事に参加。地域の同志が、喜びを満面にたたえ、待っていてくれた。
 「木村さん、よう頑張ったな!」。同志に支えられ、会場へ。つえを握る手に、渾身の力を込めて進んだ。
 名誉会長は、スピーチで語り掛けた。
 「たとえ一歩でも二歩でも、粘り強く、自分の決めた目標に向かって進んでいく。その人こそ、信頼を勝ち取る人であり、最後に必ず勝つ人なのである」
 涙が止まらなかった。木村さんは誓った。
 “自分の足で歩けるまで、仕事に復帰できるまで、挑み続けるんや。1ミリでも前へ。その姿が、俺の信仰の証しや!”
 その後も木村さんは、リハビリに挑戦し続けた。その結果、医師も驚くほどの回復ぶりを遂げ、入院から約3カ月後に退院。
 その翌月には、念願の職場復帰を果たし、現在、総務部の部長として奮闘する。
 広布の庭でも、自転車を駆使して同志の激励に走る木村さん。
 一歩でも、前へ! 前へ!――木村さんの踏み出す力強い歩みは、周囲に感動を広げている。
   (聖教新聞 2013-04-24、以下も)


【60年目の授業 恩師と教え子の朗読とトーク
〈時を経て教育の大輪は開く〉
●親と子、教師と教え子の“絆”の大切さを訴えた中西さんと皆島さん
●「特別なことをしてきたわけではありません」と皆島さん。生徒とかけがえのない時間を過ごす。一期一会の心で、教育の道を駆けてきた。ただ、卒業や転校など、必ず“別れ”もある。
 「だからといって、それで『さようなら』ではないんです」と。成長していく教え子たちを見守り、子どもたちから喜びと勇気をもらう。「教師冥利(みょうり)に尽きます」とほほ笑む。