そんな触発を受ける出会いを重ねたい

2013年5月11日(土)更新:4
【名字の言】
 車を運転していた時のこと。信号機のない交差点で、おばあさんが立ち往生していた。手前で車を止めると、中学校の野球部員らしい10人ほどが、ランニングをしながら近づいてきた▼彼らの行動に驚いた。数人が横断歩道を進み、安全を確認した後、ほかの2人が両脇に寄り添い、おばあさんの歩調に合わせて道路を渡り始めた。渡り終えると、停車していたドライバーたちに全員が帽子を取ってお礼を。そして、再び元気に走り去っていった▼流れるように目の前で展開された一瞬の出来事に、深く感動した。こうした行為は誰かに教わってできるものではない。育んできた心が自然に行動となって表れたのだろう▼先日、福島県の伊達平和会館の開館式があった。館内に、何色にも彩られた2本の太い柱のようなものがあった。近づくと、それは千羽鶴だった。5年前、病に倒れ、右半身が不自由になった壮年部員が左手だけで折ったという。“願い続けた会館完成を同志と喜び合いたい”との思いが2千羽の鶴になった▼百万言よりも、ふと目にした光景に心を揺さぶられ、生きる糧を学ぶことがある。瞬間の振る舞いや身近な出来事に、その人の心根(こころね)や人生哲学が映し出される。そんな触発を受ける出会いを重ねたい。(白)
   (聖教新聞 2013-04-29)