劣等児と言ふ極印を押して普通扱ひにしない事は、正しい事ではない

2013年5月24日(金)更新:4
【名字の言】
 成績が悪い。注意力も散漫。あの子はダメだ――ある小学生に、学校の担任がさじを投げた。“では、私に任せてください”と、20代の若き教育者が申し出た▼彼は先入観を捨て、児童とじっくり語り合った。すると、実は記憶力に優れた子だと分かった。成績悪化は、転校を繰り返す中で学習内容に空白ができたのが原因だった。「救い得る」と確信した青年は、毎晩2時間の個人教授を。やがて、児童は優等生になる▼この青年教育者は、若き日の戸田城聖第2代会長。この体験は、戸田会長が29歳で著した『家庭教育学総論』に綴られている。同書と戸田会長を紹介する特別展示が、北海道石狩市が運営する「厚田資料室」で開催中だ▼同書では、どんな劣等生も必ず「どの道かで」「一人前として」育つと強調。「劣等児と言ふ極印を押して普通扱ひにしない事は、正しい事ではありません」と。全ての子を、可能性にあふれた存在として尊んだ姿勢は、後に、創価の民衆運動へと結実していった▼厚田資料室に近い戸田記念墓地公園では、ソメイヨシノなど8000本が、まもなく見頃。この桜も、かつて“ここでは育たない”といわれた。不可能と諦める心と戦え――展示も桜も、そう人々に語り掛けている。(鉄)
   (聖教新聞 2013-05-22)