問い問われて、知恵と勇気を湧かせる“小さな語らい”が大切だ

2013年5月26日(日)更新:6
【名字の言】
 明治の革命を担った薩摩には、「詮議(せんぎ)」という特徴的な教育法があった。「もし、こうなったら」と、子どもにさまざまな仮定の問いを投げ掛けるのである▼「道を歩いていて脇の塀の上から唾を吐きかけられたら、どうするか」など、考えさせる訓練を繰り返したという。江戸時代になり、武士の教育は四書五経(ししょごきょう)の暗記のような形式的なものが広がったが、薩摩では知識よりも知恵を重んじた。僻遠の地で育まれた判断力が、新しい時代の波をつくった(磯田道史著『歴史の愉しみ方』中公新書)▼知識を身に付けるなら「座学(ざがく)」が適する。だが、判断力、発想力を磨き、知識を現実に生かしていくには、問いを投げ掛け、語り合う実践が効果的。そこから、知恵が生まれる▼「良き問いは答えの半分」といわれる。大事なのは「どんな答えを知っているか」よりも「どんな問いを持っているか」だ、とも。仏教でも「対話」を重視する。釈尊の説法のほとんどが、弟子の問いに答えて説かれたものであり、日蓮大聖人の御書には、立正安国論をはじめ、問答形式が多くある▼皆で呼吸を合わせる会合も必要。それ以上に、問い問われて、知恵と勇気を湧かせる“小さな語らい”が大切だ。広布前進の普遍の方程式である。(申)
   (聖教新聞 2013-05-23)