友それぞれの、悲しみと願いを、心から受け止める日々でありたい

2013年5月28日(火)更新:4
【名字の言】
 東北の婦人部リーダーから、震災直後のエピソードを聞いた。まだ携帯電話もつながらず、電気も通じていないときのことだ。避難所に行った。一言でも励ましたい、そんな思いだった。一人の婦人に声を掛けたとき、その婦人が懸命に訴えてきた。「お願いがあります。電気が通っているところに帰られたら、そして電話が通じたら、東京の息子に『無事だよ』と、一言でいいから伝えてください」▼婦人リーダーが語っていた。「励ますって、そういうことなんだなぁと心の底から思いましたね。まず、必要としていることに応えることだ、と」▼被災者のところに通い続けている支援関係者が語っていた。「励ますとは、“上”から声を掛けるのではない。“下”から支えるんです。そばにいて、ふと漏らすつぶやき、心の叫びに耳を澄ますことに尽きます」▼苦悩のうちにある人に、希望と勇気を与える励ましは必須だ。その前提として、どこに「苦悩」があり、どこに「希望」があるのかを、その人の視点から見ようとする努力が必要だろう▼御書に「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(758ページ)と仰せである。友それぞれの、悲しみと願いを、心から受け止める日々でありたい。(哉)
   (聖教新聞 2013-05-25)