学会員が、人と人とを結び、温かい人情を通わせ合っていくんです

2013年6月2日(日)更新:5
・『全部、自分のためであり、それがそのまま、社会の繁栄を築いていく』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20170402


【新・人間革命 奮迅 二十二】
 山本伸一は、車で荒川文化会館の周辺を巡りながら、話を続けた。
 「会員七十五万世帯の達成は、戸田先生の人生の総仕上げとなる戦いだった。なんとしても、この昭和三十二年(一九五七年)中には、それを成し遂げ、先生にご安心していただきたかった。
 そして、私は、その原動力になろうと思ったんです。それは同時に、未来にわたって、広宣流布の拡大の在り方を示すことにもなる。
 師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることです。つまり、弟子が、『先生! わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが、師弟不二です。
 私は、そう心を定めたからこそ、力が出せた。勇気と智慧を湧かせることができた。
 “広宣流布の師匠に応えよう!”と、弟子が燃え立つ時、師匠の師子王の生命が、わが胸中に脈打つんです。つまり、師弟不二の自覚に立てば、師と共に広宣流布の大使命を担う、久遠の自身の生命が脈動する。そこに、最大の力がみなぎるんです」
 家々の屋根の向こうに、荒川文化会館が見え隠れしていた。伸一は、その白亜の建物を眺めながら、感慨を込めて言った。
 「荒川区には、人情がある。庶民の心の温もりがある。しかし、近年、次第に、その心が失われつつあるようだ。道路は整備され、外観は美しくなっても、それがなくなれば、無味乾燥な町になってしまう。
 だから、学会員が、人と人とを結び、温かい人情を通わせ合っていくんです。これが、地域広布ということなんです。
 荒川文化会館が落成したら、私は真っ先に訪問します。楽しみだな」
 こう言うと、彼はメモ用紙に歌を記した。
 「あの道に
    また この路に
         わが歴史
   荒川城に
      勝鬨轟け」
   (聖教新聞 2013-05-29)