決して恐れず、退いてはなりません。難を乗り越えてこそ、成仏できる

2013年6月5日(水)更新:5
・『善と悪のあいだには一瞬の休戦もない』
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【新・人間革命 奮迅 二十四】
 藤川多恵は、汗と涙にまみれながら、慣れぬ溶接の仕事を続けた。技術の習得もできていない主婦が、受け継いだ家業である。注文を受け、納品しても、不適格だといって返品されることも多かった。
 心細かった。生きていく自信さえも失いかけていた。そのころ、仏法の話を聞いて、創価教育学会に入会したのだ。一九四二年(昭和十七年)九月、初代会長・牧口常三郎の時代である。
 信心を始めてからは、不思議と周囲の人から守られ、仕事も順調に伸びていった。彼女は、信心の功徳を実感した。
 東京・豊島区目白の牧口の自宅で行われた座談会で、多恵は初めて牧口会長と会った。
 牧口は、彼女の夫が出征していることを聞くと、慈愛のこもった眼差しを向けた。
 「ご主人には、毎日、手紙を出すんですよ。戦地では、それが、どれほど嬉しいか。妻として心を通じ合わせていくことが、折伏になります」
 そして、仏法は生活法であり、人の生き方、振る舞いのなかに仏法があることを、訴えていったのである。
 多恵は、牧口の指導を実践した。最初の手紙に、彼女は記した。
 「南無妙法蓮華経と三度お唱え下さい。一切の病魔、災難は近寄ることができません」
 夫の秀吉は、戦地にあって、欠かさず題目を唱えるようになった。
 彼女は、毎日、手紙を書き続けた。
 また、牧口は、ある時、多恵に、御書を拝して、こう決意を促した。
 「正法を行ずるならば、必ず難が競い起こります。それは、この信心が正しい証明です。その時に、決して恐れてはならないし、一歩も退いてはなりませんぞ。難を乗り越えてこそ、成仏できるんです」
 事実、それから一年もたたぬうちに、会長の牧口をはじめ、理事長の戸田城聖ら幹部が、軍部政府の弾圧によって、次々と捕らえられたのである。
   (聖教新聞 2013-05-31)