どんな絶望の中にも希望を見いだす力が人間にはある。御書はその源泉

2013年7月28日(日)更新:5
【名字の言】
 たくさんの付箋が挟まり、厚さが倍になって、使い込んだように見えるが、まだ真新しい。ある男子部の友が会合に持参していた「御書」である▼「よく勉強していますね」と語り掛けると、照れたように肩をすぼめ、とつとつと語りだした。「東日本大震災津波で親しんでいた御書を失いました」。職場が被災し、失職した彼を、男子部の先輩が”断じて負けるな”と励まし、新しい御書を贈ってくれた▼彼は毎日、御書をひもといた。心に響いた御文に傍線を引き、付箋を差した。気がつけば、御書2冊分の厚みになった。祈り抜き、やっと再就職できた会社は9カ月で倒産。それでも祈り続けた。この春、再び就職を果たした。彼を支えたのは「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との一節だった▼”時の流れ”は一定ではない。人により、状況によって違う。被災した友に聞くと、震災後の月日は「あっという間だった」という人もいれば、「とても長かった」という人もいる。”厚みが倍の真新しい”御書が、被災後の月日を、何よりも物語っているように思えた▼どんな絶望の中にも希望を見いだす力が、人間にはある。御書は、その源泉だ。うまず、たゆまず、希望の大哲学を学ぶ”求道の夏”に。(應)
   (聖教新聞 2013-07-25)