未来を開く因は、常に「今」に宿る。歴史を創る人は「今」を生きる

2013年8月8日(木)更新:4
【名字の言】
 写真家の土門拳氏が撮影の依頼を受け、広島を初めて訪れたのは、原爆投下のあと10年以上たってからのことだった。土門氏にとって伝聞で理解していただけの「ヒロシマ」は、もはや“過去のこと”で、忘却のかなたにあった▼ところが、である。現地に到着した氏は狼狽したという。実際、目にしたヒロシマは、なお生き続けていた。“忘れていたというより、実は、はじめから何も知ってはいなかったのだ”と▼一昨年の東日本大震災から3回目の夏を迎えた。震災直後の4月に中学や高校に入学した生徒にとっては、自身の進路を本格的に定める季節でもある。「3・11」もまた、過去のことではない。時間が経過することで生じる悩み、格闘する課題は、まだまだ多い。復興と新生への道のりは、はるかに遠い▼震災による津波にのまれながら、九死に一生を得た女子中等部員。受験生の彼女は暑さに負けず、仮設住宅で勉強に汗している。“大切な皆に長生きしてほしい”との思いから、介護福祉士になることを将来の夢に定めた▼そんな彼女を、皆が応援する。「今」を頑張る友を励ますことが、“福光”の軌跡になる、と確信して。未来を開く因は、常に「今」に宿る。歴史を創る人は「今」を生きる。(代)
   (聖教新聞 2013-08-02)