戦争と核兵器のない時代に

2013年8月11日(日)更新:4
【戦争と核兵器のない時代に 広島・長崎・沖縄青年部サミット】
《池田名誉会長がメッセージ贈る 「若き大情熱で平和の万波を」》
●3県平和サミットで使命深き青年部が真剣に討議・意見交換を(広島池田平和記念会館で)
●青年の手で戦争と核兵器のない時代を!――広島・長崎・沖縄の青年部の代表らによる「3県平和サミット(青年平和連絡協議会)」が3日、広島池田平和記念会館で開催された。これには、池田大作名誉会長が記念のメッセージを贈り、平和の万波を起こすために、大情熱を燃え上がらせて尊い青春を進む友に心から期待を寄せた。また、長崎と広島で、未来部員と共に原爆の歴史、平和の尊さを学ぶ催しが行われた。

●戦争ほど残酷で悲惨なものはない!――戦争で最も苦しんだ広島と長崎、そして沖縄。平和を希求する3県の青年部の代表が広島に集った。
 サミットに先立って行われた被爆体験を聞く会。「呉原爆被爆者友の会」の山中恵美子さんが講演した。
 山中さんは、語り部活動を始めた当初、忌まわしい記憶を思い起こしたくないと思ったこともあった。
 証言を続けることが精神的な苦痛との闘いだった。
 しかし、池田名誉会長の長編詩「平和のドーム 凱旋の歌声」に出あって変わった。
 「惨苦(さんく)を越えながらも/懊悩(おうのう)の幾山河は果てず/死の灰 身をむしばみ/体は思うにまかせず」――名誉会長の被爆者への同苦の思いを感じた山中さん。
 ”体験した私にしか語れないものがある。二度と悲劇を繰り返さないようにするのが私の使命”と、その日から、証言活動は海外にまで広がっていった。
 時折、言葉を詰まらせながら体験を語る山中さん。「きょう感じたことを一人でも多くの方に語り広げてほしい」と呼び掛けた。
 青年部の友は、「体験を伝えるまでの葛藤や苦しみ、そして勇気を感じました」「生の体験を初めて聞きました。もっと多くの人が知るべきです」と、決意とともに感想を語り合った。
 今年で22回を数えるサミットでは、3県の代表が活動報告した。
 長崎(前田青年平和委員会委員長、津田女性平和文化会議議長)と、沖縄(砂川青年平和委員会委員長、屋嘉部女性平和文化会議議長)の代表があいさつ。広島(淀屋青年平和委員会委員長、平井女性平和文化会議議長)からは、「広島学講座」などを通じて、全国・全世界に平和交流を広げる模様が紹介された。
 続いて、被爆70年となる2015年に広島・長崎での「『核兵器のない世界』のための拡大首脳会合」開催を目標に、世界平和の大潮流を築く取り組みについて、活発に意見交換が行われた。
 浅井青年平和会議議長、木下女性平和文化会議議長は「世界はいよいよ創価の青年に期待を寄せている。これからも挑戦を続けたい」と語った。橋元男子部長が激励した。
 同日、世界平和祈念勤行会が行われ、3県青年部の代表が参加。戦争と核兵器のない世界実現を祈念し、篠原中国長、三浦同青年部長らがあいさつした。
   (聖教新聞 2013-08-04、以下も)


【未来部の友が歴史を学ぶ 長崎でピースウオーク 広島・福山で被爆体験を聞く会】
●長崎の被爆遺構を巡る「ピースウオーク」が3日に行われ、未来部や保護者、青年部の代表120人が参加した。
 松田さん(高校2年)と井上君(小学6年)らが、原爆落下中心地碑に献花。
 続いて、「平和案内人」のガイドに従い、城山小学校や平和公園などを見学した。
 参加した未来部員は「”あの日”も、きょうと同じように暑かったと聞きました。その中で、多くの人が水を求めながら亡くなった。戦争は、絶対に起こしてほしくない」と語った。
 広島の福山女性平和委員会が主催する第2回「福山空襲・被爆体験を聞く会」は同日、福山文化会館で。
 井崎委員長のあいさつなどの後、施設訪問ボランティアグループ「ともしびの会」会長の清代律子さんが被爆体験を語った。
 清代さんは、18歳の時に広島市内で被爆。熱線による大やけどなどで苦しむ人々や一瞬で何もなくなった町の様子を語り、「核兵器は絶対に使用してはなりません」と力説。不戦の誓いを受け継いでほしいと呼び掛けた。
 続いて、未来部の多くの参加者を代表し、中学3年生の谷森さんが平和を築く人材に成長したいと決意を。池上総広島婦人部長があいさつした。