永久に民衆と共に 正義の剣(ペン)を

2013年8月23日(金)更新:5
【社説 永久に民衆と共に 正義の剣(ペン)を】
 池田名誉会長と語り合ったキルギス出身の世界的文豪アイトマートフ氏は、低俗な商業主義が書物や新聞の質を下げている状況を憂慮しつつ、こう指摘した。
 「その反対が聖教新聞です」「きわめて高い文化的な内容です。なのに、ずうっと発刊され続け、何百万という方々が読んでいる。これは、大変なことです」
 本紙は、創価三代の信念の行動を範として、庶民を守り抜く「民衆厳護」の使命を誇りに、戦火なき世界を築かんと、平和・文化・教育の発展に寄与する“人間の機関紙”の役割を担ってきた。

人間主義の論陣は世界へと〉
 海外のSGI(創価学会インタナショナル)組織でも機関紙は次々と創刊され、今では51カ国・地域で80もの姉妹紙誌が刊行されている。仏法の人間主義を基盤とする聖教の論陣は世界に広がり、各界の識者が共感を語る時代となった。
 その淵源は、どこにあったのか。
 戦後間もない1950年(昭和25年)8月24日。深刻な不況のあおりで、戸田城聖第2代会長の事業は窮地に追い込まれ、戸田会長は理事長職を辞任する意向を明らかにした。最大の逆境にあって、未来を開く師弟の語らいの中、初めて広布の機関紙が構想されたのである。
 その際、戸田会長は若き名誉会長に語った。「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない」と。この日が「聖教新聞創刊原点の日」となった。
 創刊に向けた第1回の企画会で、戸田会長は、「あらゆる意味で言論戦の雄(ゆう)とならねばならぬ」と力を込めた。名誉会長は日記に、「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と記している。燃え上がる師弟の精神こそ、永遠の聖教魂であらねばならない。

〈感謝忘れず「同心」で獅子吼〉
 名誉会長は、創刊60周年を迎えた2011年4月20日の「随筆」に、「仏法では、『師子吼』とは師弟不二の言論戦を意味する。まさしく聖教は、師弟共戦、異体同心で、正義の師子吼を広げ抜いてきた」「民衆の中で生まれ、民衆に育まれた聖教新聞は、永久に民衆と共に進む正義の言論城である」と綴った。
 この精神を胸に、愛読者の皆さま、また酷暑の日も、風雪の朝も本紙を配達してくださる「無冠の友」をはじめ、本紙を支える全ての方々への感謝を忘れることなく、「世界一の新聞」を目指して、一層の紙面の充実に励んでいきたい。
   (聖教新聞 2013-08-23、以下も)


【きょうの発心 師弟の「この道」を歩み抜く】
御書
 一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(富木殿御書、970ページ・編797ページ)
通解
 一生空しく過ごして、万歳に悔いることがあってはならない。
広宣流布の使命を忘れて、この一生を空しく過ごしたならば、その後悔は万歳に残る、との厳しき御聖訓です。私が人生の指針としてきた御文です。