誓願の継承こそが、師弟の生命にほかならない

2013年11月13日(水)更新:1
・『“いかにして、子どもに学習方法をしっかり身につけさせるか”』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20181018


【新・人間革命 若芽 十八】
 東京に開校する創価小学校の設立準備委員会では、「二十一世紀を担う人材の育成」を目標の柱と定め、教育の在り方をはじめ、学校の規模や児童数、建設用地などが具体的に話し合われていった。
 一九七六年(昭和五十一年)四月に創価大学教育学部が開設されることから、当初、東京・八王子市の大学隣接地に小学校を建設することが検討された。
 しかし、交通の便の関係上、児童の通学に時間がかかるため、東京・小平市創価中学・高校に隣接した、国分寺市北町に建設されることになった。
 設立準備委員会の会議には、山本伸一創立者として可能な限り出席し、経過報告に耳を傾け、委員たちの労をねぎらった。また、自身の教育にかける決意を語り、皆のいっそうの尽力を念願した。
 七六年四月の設立準備委員会では、「東京創価小学校」を正式名称とすることが決定した。起工式が挙行されたのは、その年の十一月三日であった。創価教育の父・牧口常三郎の三十三回忌となる、十一月十八日を目前にしての起工式である。伸一は、深い感慨を覚え、心で牧口に語りかけていた。
 “牧口先生! 先生は、国家のための人間をつくろうという教育の在り方に抗して、子ども自身の幸福を実現するために、創価教育を掲げて立たれました。今、その創価一貫教育の学舎が、この小学校の建設をもって、完成を迎えます。
 どうか、新世紀を、五十年先、百年先をご覧ください! 人生の価値を創造する人間主義教育の成果として、数多の創価教育同窓生が燦然と輝き、世界の各界に乱舞していることは間違いありません”
 伸一は、先師・牧口常三郎と、まみえることはなかった。しかし、彼の胸中には、恩師・戸田城聖と共に、常に牧口がいた。戸田を通して牧口を知り、戸田の先師への誓いを、わが誓いとしてきた。誓願の継承こそが、師弟の生命にほかならない。
   (聖教新聞 2013-11-09)