人間として子どもを自立させていくことにこそ、教育の眼目がある

2013年12月14日(土)更新:1
・『何があっても負けない“強い心”をもつことが、幸せの要件』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190218


【新・人間革命 若芽 四十二】
 山本伸一は、久藤智代への接し方について、教師たちに語った。
 「彼女については、こまやかな心配りをしていくことが大切ですが、特別扱いをすべきではありません。ほかの児童と同じように、なんにでも挑戦させるようにしてください。
 そうでないと、社会で自立することができなくなってしまいます。そうなれば、本人がかわいそうです」
 人間として子どもを自立させていくことにこそ、教育の眼目があるのだ。
 また、伸一は、折に触れ、久藤に励ましの言葉をかけた。一緒に記念のカメラに納まったこともあった。
 彼女は、大学卒業後、大手商社勤務を経て結婚する。義母の介護を経験したことが契機となり、やがて福祉の道を志すことになる。
   
 久藤と同じ学年に本川雅広という児童がいた。彼が五年生になった時、父親の経営する印刷会社が倒産した。
 父親は、しばらく前から、家にも帰らずに働き続けたが、事業の窮地を脱することはできなかった。倒産する前日、人目を忍ぶようにして、家族全員が祖母の家に集まった。
 父親は、雅広の顔を見すえ、意を決して語り始めた。
 「実は会社が倒産する。私は、みんなと離れて暮らすことになる。でも、いつか一緒に住める日がくるから大丈夫だ。また、学校の授業料や生活費は、私が働いて必ず送るから、心配するな。お母さんと妹を頼むぞ!」
 そう言い残して父親は、姿を消した。
 それからほどなく、一家は、ひそかに転居した。移転先は一軒家であったが、古びた、“あばら家”のような家であった。日は当たらず、壁にはカビが生え、風呂も壊れていて使えなかった。家にはテレビもない。
 父親個人にも莫大な借金が残っていた。その取り立ての手がかりをつかむために、子どもの本川雅広の住所などを聞き出そうとする電話が、小学校にもかかってきた。
   (聖教新聞 2013-12-10)