“戦争で心が傷ついた子どもたちに、夢や希望を与えたい”

2014年1月29日(水)更新:3
【名字の言】
 今月の大学入試センター試験の日本史で、漫画家・手塚治虫氏に関する設問があり、話題になった。氏の生涯を追いつつ、当時の政治・経済状況を問う内容だった▼問題用紙には、氏の自伝的作品「紙の砦」も掲載された。使われたのは、戦時下の軍需工場に動員された主人公が監視の目を盗み、工場の片隅で漫画を描き続けていた、という場面だ▼“戦争で心が傷ついた子どもたちに、夢や希望を与えたい”と、終戦後、多くの少年少女雑誌が生まれた。手塚氏が活躍し始めるのは、このころ。若き日の池田名誉会長も、戸田第2代会長のもと、「冒険少年」(後に「少年日本」と改題)の編集長を務めた。後年、手塚氏は「自分から是非描きたいと思った雑誌は、当時はこの本くらいだった」と回想したという▼共に昭和3年生まれの2人が出版の世界で出会うことはなかった。だが、“試練に負けるな!”と、子どもたちに注ぐ愛情と情熱は、強く共鳴していたと思える▼「これからは、みなさんが思いきり夢を実現してくれることが、私の一番の夢です」。名誉会長は今、少年少女部に呼び掛ける(「希望の大空へ」)。子どもたちが存分に夢の翼を広げる時代をつくる。それは私たち大人に課せられた責務である。(代)
   (聖教新聞 2014-01-29)