雪国に 世界一の幼児教育の城

2014年2月4日(火)更新:3
【学園抄 創立者とともに 第15回 太陽の子】
 白い壁と白い道。その中を、赤・黄・青の線で彩られたバスがやってきた。ゆっくり止まると、壁に開いた隙間から、小さな子がひょっこり。
 「おはようございます!」
 乗り込んで、窓の外の母親に笑顔で手を振った。
 先月21日の朝。札幌創価幼稚園(札幌市豊平区)のバスが市内を回っていた。道沿いの雪の壁は、園児の背丈の倍以上。北海道の冬は長い。きょうから3学期が始まる。
 「あのね、おにいちゃんがね」。家族のことを話す女の子。ズバババ! ヒーローの技をまねる男の子。社内に、おしゃべりの花が咲く。
 幼稚園の前に着いた。青い屋根に白い雪。入り口の「えがおのもん」の中も銀世界だった。
 「あっ、ゆきやまだ!」「てつぼうがうもれてる」
 皆がはしゃぐなか、教員が掛け声を出した。
 「とんとんまーえ!とんとんまーえ!……」
 手拍子と“前へならえ”の仕草をして園児が並ぶ。
 「せんせい、おはようございます! みなさん、おはようございます! つよく! ただしく! のびのびと!」
 声を揃える園児の視線の先には、「つよく ただしく のびのびと」のモットーの碑と園歌の銘板。あいさつを終えると、玄関へ続く「えがおのみち」を、にぎやかに歩いていった。


《大人の人格》
 創価教育の父・牧口常三郎創価学会初代会長が初めて教壇に立ち、戸田城聖第2代会長が教壇の道に進んだ、北海道の大地。創立者・池田名誉会長は「札幌に、創価一貫教育の最初の門となる幼稚園をつくり、日本一、世界一の幼児教育の城に」と願った。
 札幌農学校の教育者・クラーク博士の像が立つ羊ヶ丘地域に、創価幼稚園はある。創立者は作家・井上靖氏に述べた。
 「遠くに雪を残す連山(れんざん)を望み、石狩の沃野を眼前にするこの羊ヶ丘は、幼児教育の環境としては理想的」
 保育室や廊下、ロビー、遊戯室の「おうじおうじょホール」は広々。カラフルな「にじのトンネル」、木のプールがある「なかよしひろば」、絵本がいっぱいの「たいようのこライブラリー」は皆のお気に入り。
 体操、リトミック、英語で遊ぶインターナショナルタイムなど取り組みは多彩である。
 春から「あおぞらのうえん」でイモを育て、収穫した秋にチューリップを植える。氷点下の冬は「なかよしグラウンド」で雪遊び。次の春は、雪の下にあったチューリップが花開く。豊かな四季を体感する。
 毎日、園歌を歌い、モットーや「3つのおやくそく」――(1)自分のことは自分でしましょう(2)お友だちと仲よくしましょう(3)明るく元気にあいさつしましょう――などを暗唱する園児は「心」を広げていく。
 あるわんぱくな男の子は入園前、よく友だちを泣かせ、母親は悩んでいた。創価幼稚園でも、絵本を読む子に体当たりするなど、やんちゃなまま。だが教員は責めない。
 「創価幼稚園には、お友だちを傷つける子はいないんだよ。先生とのお約束なんだよ。きょうは失敗しちゃったのかな?」
 そして彼のひょうきんな性格を褒め続けた。周りの園児も彼を褒め始めた。今では、泣く子がいると涙を拭いてあげ、おどけて笑わせる人気者になった。
 どう園児と心を通わせるか。教員の思いの源は「創立者ならどうされるか」。幼稚園の至る場所で示した創立者の真心が、創価の幼児教育の礎である。
  ◇  ◇  ◇
 玄関は静かだった。第1回入園式の1976年(昭和51年)4月16日。
 「園児はまだかい?」
 外を眺める創立者。式まで1時間以上もある。園内を視察しても、すぐ玄関に戻り「まだかな?」。
 やがて園児が来ると「おめでとう!」。握手。頬をさする。ぎゅっと抱く。
 式の前は遊戯室の入り口で、各組から「にじのトンネル」を通ってくる園児を迎えた。一緒に手をつなぎ園児席へ。じっとしていない子を膝の上であやす。
 記念撮影。泣いてしまった園児を抱き寄せた。「おしっこ!」と叫ぶ子がトイレへ。泣いていた子も列を飛び出す。再び並び直して、やっとパチリ。すると廊下から「おしっこの子がまだ入ってませーん!」。爆笑が起きた。
 帰りのバスでは園児のなぞなぞに答え、歌った。
 教員は驚く。こんなに全力で園児を大切にされるのか……。創立者は語った。
 「子どもの中にも大人があります。大人の人格を秘めた園児なんだということを忘れてはいけません」
 「この幼稚園からは一人も不幸な人を出さない」

  ◇  ◇  ◇

 ロビーで数人の園児が声を上げていた。
 「あーそーぼーっ!」
 82年6月28日、創立者は園児と記念撮影の後、控室にいた。「池田先生はお仕事をされているから静かにしようね」。教員は念を押していたが、園児はうれしくてたまらない。
 「いけだせんせー、あーそーぼーっ!」
 たったったっ……。近づいてくる足音。
 あっ、せんせいだ!
 「スイカをあげよう!」
 その場で創立者が切り分ける。わっと皆が集まってきた。子どもの顔より大きな、丸々としたスイカ。待ちきれない園児の目も、まん丸。
 「食べなさい」
 モミジのような手に、優しく渡す。
 「おいしー!」
 真っ赤なスイカをほおばりニッコリ。果汁がついた顔を、創立者はタオルでそっと拭いてあげた。
 この日、園児を思って筆を執り、二字を揮毫した。
 「天使」

  ◇  ◇  ◇

 「えがおのみち」で園児たちと触れ合ったのは92年8月28日だった。
 創立者が、ぬいぐるみをプレゼント。さらにカゴに手を入れて……。
 パッ!紙吹雪が舞った。
 わぁ!びっくりして指をさす子。皆、躍り上がった。
 ある子は紙を拾い、創立者に振りかけた。顔を押さえ、倒れるふりの創立者。無邪気な笑いが絶えない。
 「お友だちが世界にできますよ!」
 創価の幼児教育の城は、札幌から、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国に広がった。


《将来の偉人を》
 94年(平成6年)8月19日、創立者は夕焼け空が包む羊ヶ丘展望台に立った。
 “BOYS BE AMBITIOUS(ボーイズ ビー アンビシャス)”(青年よ、大使を抱け)と刻まれた台座にクラーク博士の像。第1回入園式と同じ日に除幕されたものである。その向こうには札幌市街の灯(ひ)が見えた。
 すっかり暗くなった帰り道、幼稚園のそばを通る。明かりがともっていた。
 「皆、いたんだね」
 翌日の始業式を前に準備で残っていた教職員をねぎらう。ある組のピアノで「荒城の月」を2度演奏。2回目は「子どもたちのために弾いたんだよ」。
 「何千、何万という、将来の偉人を育ててください。世界平和のために、人類の幸福のために」
 夜空の丸い月が、静かに園舎を照らしていた。
 明くる日。創立者が弾いたピアノに教員が向かう。
 「きのう、ここで池田先生が、皆のためにピアノを弾いてくださったんだよ」
 「ほんとにー?」
 園児の目が光る。
 「荒城の月」を奏でると、「すごーい!」「このうた、しってるー!」。ニコニコ笑顔で聞いていた。

  ◇  ◇  ◇

 創立者は呼び掛ける。
 「札幌創価幼稚園は、王子、王女の皆さんが育ったお城です。自分のお家(うち)だと思って、いつでも遊びにきてください」
 卒園後、離れ離れの園児は、小学1年から3年ごとに集まる。卒園生の集い「創陽会」から工学博士、弁護士、医師、看護師、大学教員、客室乗務員、テレビアナウンサー等が誕生。創価幼稚園の教員もいる。
 第1回入園式で訪問した際、「皆が立派に成長するまで、私も一生懸命に応援します」と語った創立者の思いは、変わらない。
 バスで創立者の隣に座った女の子がいた。後に海外高級ブランドメーカーの本社社員として活躍。だが悪性リンパ腫が見つかった。すでにステージ3。創立者から伝言が届く。
 「よく覚えているよ。忘れてないよ。先生が祈ったから。負けるな。頑張れ」
 闘病の支えになったのは創立者の激励と、胸に刻まれていた園のモットー。ついに寛解を勝ち取った。

  ◇  ◇  ◇

 かつて創立者は3学期のスタートに言葉を贈った。
 「全員が太陽の子です。皆さんの心の中にも、希望の太陽が、どんな時も輝いています」
 降園(こうえん)時間。玄関で教員がぎゅっと抱きしめたり、ハイタッチしたり。そして園児はモットーの碑の前へ。
 「せんせい、さようなら!
 みなさん、さようなら!
 つよく! ただしく! のびのびと!」
 陽光にキラキラ光る雪を踏みしめ、「えがおのもん」から元気に帰っていった。

   (聖教新聞 2014-02-04)