広布へ戦う誓願こそ尊貴

2014年2月16日(日)更新:2
【名誉会長と共に 新時代を開く〈7〉】
 雪の日にも、聖教新聞を配達してくださる無冠の友の尊き皆様方に、あらためて、心から深く感謝申し上げたい。
 ご健康を、そして、絶対の無事故を、毎日、真剣に祈っております。
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 2月16日は日蓮大聖人の御聖誕の日である。「民が子」(御書1332ページ)、「旃陀羅(せんだら)が子(=最下層の家の子)」(同891ページ)と自ら明言され、民衆の中に生まれたことを誇りにされた。一切衆生の苦は「日蓮一人(いちにん)の苦」(同758ページ)であると、どこまでも民衆の幸福を願われた。
 その内証が、いかに尊貴であられるか。日寛上人は智慧の尊貴、慈悲の尊貴などとともに、誓願が尊貴であられることを挙げられている。
 全生命を打ち込んで、不退の心で広布へ進む――この大誓願日蓮仏法の魂である。
 我ら門下も、この誓願に生きゆくゆえに、最高に尊貴な人生を飾ることができるのだ。
 最も虐げられてきた民衆が、最も偉大な存在として輝いていける。何と誉れ高い、希望の郡像(ぐんぞう)であろうか。
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 人の振る舞いに、仏法は光る。深き祈りがあるところ、日々の交流が仏縁に変わる。
 大聖人は門下に、「主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ね(根)もよ(吉)かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給卯へ」(同1173ページ)と教えられた。
 社会での活躍でも、信心の上でも、地域貢献でも、「素晴らしい」「見事だ」と言われる存在になる。そこに心の財も築かれる。
 わが舞台で皆から「さすがだ」と謳(うた)われゆく、そういう自分に人間革命していこう!

   (聖教新聞 2014-02-16)