介護 読者の体験談 こころの絆 他

2014年2月18日(火)更新:5
核兵器の非人道性めぐる国際会議でSGIが発言】〈146カ国の代表、10の国際機関が出席〉
●メキシコ政府が主催した第2回「核兵器の非人道性をめぐる国際会議」。2日間の議論を総括する全体討議では、SGIの代表が市民団体の立場から発言。共感が広がった(ヌエボバジャルタで)
●「核兵器なき世界への連帯」展のテープカット。マヌエル・ゴメス・ロブレド外務副大臣、アンジェラ・ケイン国連軍縮担当上級代表、日本赤十字社長崎原爆病院の朝長万左男院長らを迎えて(同)
 【ヌエボバジャルタ14日】メキシコ政府が主催する第2回「核兵器の非人道性をめぐる国際会議」が13、14の両日(現地時間)、同国西部ナヤリットのヌエボバジャルタで開催された。これには、世界146カ国の政府代表団、10の国際機関、市民社会の代表119人が参加。2日目に行われた全体討議では、SGI(創価学会インタナショナル)の代表が発言した。期間中、同会議の唯一の関連行事として、会議場と同じ敷地内で「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展(制作=SGI、制作協力=ICAN〈核兵器廃絶国際キャンペーン〉)が開かれ、各国のメディア、会議関係者の注目を集めた。
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 今回の国際会議を主催したメキシコは、1962年の「キューバ危機」以降、中南米地域の非核化政策を主導するなど、長年にわたり“平和政策”の先頭を走り続けてきた。
 その同国に各国政府や国際機関、市民社会の代表が集い、「核兵器なき世界」の実現に向けて、真剣な議論が交わされた。
 昨年3月、ノルウェーオスロで開かれた第1回会議では、多数の人命を一瞬で奪い去る核兵器の「短期的な影響」が中心議題だった。舞台をメキシコに移した今会議は、被爆者に苦しみを与え続ける「長期の社会的・経済的影響」が焦点となった。
 そのことを象徴しているのが、今回、実現した「被爆者の証言」と題するセッション。被爆者の登場は、大きな話題となった。
 開幕式の後、日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳事務局長、藤森俊希同次長ら、広島、長崎の被爆者とユース非核特使の5人が登壇。戦後70年近くを経ても、今なお続く被爆の苦しみを語った。
 SGIは、第1回に続き、主催国からの招聘を受け、市民社会の代表として参加。この事実は各地のメンバーが地道に広げる平和の連帯に、期待が高まっていることを表していよう。
 池田SGI会長は、「SGIの日」記念提言をはじめ、一貫して「核兵器なき世界」を主張してきた。本年1月に発表した提言でも、市民社会の立場から平和構築への具体的方途を示している。
 会議場内では、本年の提言をまとめた英文小冊子が配布され、多くの参加者が手に取るなど、SGI会長の平和哲学と行動に対する理解が一層、広がっていた。

   (聖教新聞 2014-02-18、以下も)


【介護 読者の体験談 こころの絆】
《私が変わろうと決意》
●最初は不満を書いて聞いてもらっていましたが、ケアマネジャーに会えるのは毎月1回程度。その間、不満を書きためている自身に情けなさを感じるようになり、途中でやめることにしました。
 そして、相手を責めるのではなく、私から変わろうと決意。怒りによる発言ではなく、愛情をもって言うことを心掛けました。
 すると、義母も徐々に「ありがとう」と言うように変化してきました。ケアマネジャーの提案に、感謝の思いでいっぱいです。

認知症への理解深め》
●そんな私に、ケアマネジャーが「お母さんは娘さんと一緒に暮らせて幸せよ。認知症が言わせるのだから気にしないで」と励ましてくれたのです。
 昨秋、母は老衰のため90歳で他界。あっという間の出来事です。穏やかな顔で霊山に旅立った母の顔を見て、それまでの苦労が感謝に変わりました。
 母は、すぐに忘れてしまうことへの不安やいら立ちを、最も心を許していた私に訴えていたのだと思います。もっと母に寄り添い、全て肯定してあげればよかったのにと、今になって考えています。


《母による“心の介護”》
●苦しそうな息をしながらも、気丈に振る舞った母。
 ありがとう! お母ちゃん。
 偉そうに「自宅で介護している」と思っていたが、私の方こそ、母に“心の介護”をしてもらっていることに気付くのに、2年以上もの時を要した。
 そして、まだ母の面影を引きずって生きている私は、今年こそ、母の味を思い出しながら料理を作ろうと思っている。身近に母を感じながら――。


《病人の苦しみ考える》
●学会の同志に苦しみを訴えることで救われました。身内でなくても心を打ち明けられる人がそばにいる、ということは誠に有り難いと実感。
 自分の苦しみばかりにとらわれていましたが、病人である母の苦しみも考えられるようになりました。
 「100歳まで生きてね。一緒に頑張ろう」――そう言えた私に安心したのでしょうか。間もなく、母は私が自宅にいる時に他界。2人にとって、とても貴重な時間を過ごすことができました。


《字幕表示で見る喜び》
●骨折で入院したのを機に、認知症が際立ってきました。
 現在は95歳で要介護3。妄想や幻覚、徘徊の他に、火の不始末によるトラブルもありましたが、4人の子どもが協力して在宅介護を続けています。
 難聴で会話は成立せず、テレビの音も聞こえないので興味がありません。そこで私は、字幕を表示して見てもらう案を考えました。耳が聞こえなくても字幕を読んで理解できるので、興味が湧いたと喜んでいます。

《同志や友人の励まし》
●夫や約6年前に脳内出血を患うも一命をとりとめ、今ではデイサービスに週2回通い、家でもリハビリに励んでいます。
 真面目な性格の夫は介護しやすい方だと思いますが、退院時は要介護5の状態。医師からは「在宅介護は2週間が限界だろう。施設を探した方がいい」と言われました。
 夫の右手足のまひと言葉が出ない状況に、心身共に疲れることもありましたが、同志や友人の励ましがとてもうれしかったです。