牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信に立たれていたではないか

2014年2月19日(水)更新:1
・『この無形の宝を社会に開いていくのが、広布第二章です』
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【新・人間革命 正義 四十一】
 山本伸一が、この日、法難の地・伊豆で、最も訴えたかったことは、「確信こそ、信仰の根本である」ということであった。
 戸田城聖は、第二代会長に就任して間もない一九五一年(昭和二十六年)夏、「創価学会の歴史と確信」(注)の筆を執った。
 そのなかで戸田は、軍部政府の弾圧と戦い、殉教した初代会長・牧口常三郎について、次のように記している。
 「牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信に立たれていたではないか。あの太平洋戦争のころ、腰抜け坊主が国家に迎合しようとしているとき、一国の隆昌のためには国家諫暁よりないとして、『日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ』と厳然たる命令をくだされたことを思い出すなら、先生の確信のほどがしのばれるのである」
 牧口は、日蓮大聖人の仏法への絶対の確信があった。ゆえに、大法難にも微動だにすることなく、正法正義を貫き通したのである。
 牧口と共に捕らえられた戸田は、獄中にあって、法華経の精読と唱題のなかで、自分は師と共に、末法妙法蓮華経の大法を弘めるために出現した地涌の菩薩であることを自覚する。いわゆる「獄中の悟達」である。
 さらに戸田は、「われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする」と綴っている。
 そして、故会長の遺志を継ぎ、広宣流布に生涯を捧げる決意を記し、こう述べている。
 「この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫(びまん)しつつある。これこそ発迹顕本であるまいか」
 全会員が、地涌の菩薩として、大聖人の眷属、末弟子としての大確信をもち、広宣流布に生き抜いている事実をもって、戸田は、創価学会の「発迹顕本」としたのである。
■引用文献
注 「創価学会の歴史と確信」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社

   (聖教新聞 2014-02-19)