自然と共生する事は環境の為であり同時に人間自身の復興の為でもある

2012年6月24日(日)更新:3
【名字の言】
 レイチェル・カーソンの環境問題の古典『沈黙の春』が、米国の雑誌に掲載されたのは、50年前の1962年6月。半世紀を経ても同書が色あせないのは、「自然破壊への警告」を超えて、「あるべき人間の生き方」を問いかけるからだろう
 人間と環境は影響し合うという仏法の「依正不二」の視点で見れば、環境破壊は、すなわち人間の驕りの表れ。一方、自然との共生は、よりよい生き方を開いていく
 作家の野添憲治氏がまとめた『聞き書き 知られざる東北の技』(荒蝦夷)に、銘木づくりの匠の話がある。加工後の利益を見込んで丸太を買う。まれに値踏みが外れることがある。その際、反省すべきは損をした時ではなく、想定外の利益を出した時だという
 人間が生きる何倍もの時を、大地に根を張り、風雪に耐えてきた木と向き合えば、おのずと畏敬と謙虚の念が生まれる。その木から不相応な利益を得ることに、恥ずかしさを覚えるのだ
 池田SGI会長は提言「持続可能な地球社会への大道」で、郷土や自然を、自己の存在基盤をなす“かけがえのないもの”とする心を育み、行動に結びつけることの重要性を指摘した。自然と共生することは、環境のためであり、同時に人間自身の復興のためでもある。
      (聖教新聞 2012-06-24)