境涯は大きく! 日本一仲良く!

2014年2月21日(金)更新:3
【地域紀行 美しき万葉の故郷 奈良・十津川村
 ここには“日本一”が多い。鉄線つり橋の長さ。路線バスの距離。何より、村の大きさが日本一だという。
 奈良県の最南端に位置する十津川(とつかわ)村。その面積は、琵琶湖をも上回る。
 JR五条駅から車で1時間半ほど走っただろうか。“カーナビ”が、十津川村に入ったことを知らせた。
 白雪を冠した紀伊山地の険しい稜線(りょうせん)、エメラルドグリーンの十津川が映える峡谷……美しい自然が、どこまでも続く。日本書紀に“通津(とおつ)川”との名が見られるなど、ここは万葉の時代から多くの歌人に愛されてきた天地である。

 あこがれの
  万葉天地の
   十津川に
  ゆきたし会いたし
     久遠の友らと

 池田名誉会長は1990年(平成2年)8月、十津川の同志に和歌を贈った。きっかけは、村を紹介するテレビ番組を見たことであった。
 「先生が、私たちを見ていてくださっている。
 その喜びを胸に、日本一の仲良き団結で、日本一幸せな村にしようと誓い合いました」
 十津川広布の草創を築いた森本政雄さん(副本部長)が懐かしく振り返る。
 今では、村内の1割が学会員。その一人一人が、生き生きと地域の発展に尽くす。
     ◆◇◆
 96%が山林という村。民家の多くが渓流に面した山の傾斜地にある。村人たちは、その往来のために、大小さまざまなつり橋を架けてきた。
 村一番の名所である「谷瀬の吊り橋」に行ってみた。
 入り口に立つと、「危険ですから一度に20人以上はわたれません」との注意書き。
 なんてことはないと勢いよく足を踏み入れたはいいが、ミシミシときしむ板に恐怖心がわいてくる。
 さらに、54メートルの高さに架けられているのだ。風に煽(あお)られて、想像以上に揺れる。
 手すりにつかまり、おずおずと進んでいると、自転車にまたがった地域の子どもが、涼しい顔で横を通り抜けていった。
 「地元の人はいつも使っていますから平気です」
 橋の近くに住む氏本智司さん(ブロック長)が笑った。
 妻の久美子さん(支部副婦人部長)と一緒に、本紙の配達を担ってきた。その距離は一回り27キロにも及ぶ。
 川のせせらぎ、木々を揺らす風。カモシカやサルなど、動物との遭遇もある。
 自然を味わいながら、夫妻で“朝のドライブ”。いつまでも変わらぬ日常と思っていた。
 だが昨年、試練が襲った。久美子さんが、くも膜下出血で意識不明となったのだ。
 智司さんが絶望のふちに立たされた時、同志は懸命に祈ってくれた。「一人のために心を砕く。学会の同志の温かさを心から感じました」
 久美子さんは、奇跡的に回復。後遺症も残らず、この一年で元通りの生活に戻った。
 「今度は自分が地域を支える存在に」と誓う智司さん。高齢化が進む村にあって、集落の家の補修や買い出しの代行などを行い、頼られる存在となっている。
     ◆◇◆
 人々のつながりが強い十津川村。引っ越して来た人は村人を知らなくても、村人の方ではよく知っている。そういう話もあるという。
 「見られていると思うとやりにくいですが、見てもらっていると思えば安心感に変わる。考え方次第ですよ」と、岡靖久さん(ブロック長)がほほ笑む。
 13年前に村に戻ってきた。
 当時、心の病を抱え、仕事を辞めた。希望を持てないなか、唯一の支えはカメラだった。雄大大自然に向かい、シャッターを切る。そうしていると全てを忘れられた。
 「いつしかカメラを使った仕事に」が夢となった。
 ある時、近所の旅館の人から依頼された。「チラシを作ってくれんやろか」
 自分の撮った写真を使い、見よう見まねでチラシを作ってみると、評判を呼んだ。
 次は旅館のホームページ、村の観光協会のチラシ……。次第に仕事が舞い込むようになった。
 「村の皆さんの温かさに救われ、夢をかなえられた。だからこそ、恩返しをしたい」
 世界遺産に指定される熊野古道が通り、源泉かけ流しの温泉があるなど、多彩な顔を持つ十津川村。その魅力に迫り、今日も発信している。


《助け合いの心》
 山を見ると、所々に崩落した爪痕が残っている。2011年(平成23年)に起きた、紀伊半島豪雨によるものだ。
 台風12号の影響で、バケツをひっくり返したような雨が続いた。8月30日から9月4日までの間で、1358ミリという記録的な雨量を計測した場所がある。
 山の崩落、橋の陥落によって道路は寸断され、村は孤立状態となった。
 小原勝利さん(副支部長)は3日の夜、消防団の一員として、住民の避難誘導に当たっていた。そこに「野尻の村営住宅が流された」との情報が飛び込んできた。
 耳を疑った。
 そこは川から10メートルほどの高さにあったからである。
 懐中電灯の明かりだけを頼りに、現場に向かった。
 対岸の山が崩れたことで、川の流れが変わり、見たこともない激流が足元まで迫っていた。
 足の震えを抑え、必死で捜索した。しかし、不明者を見つけることはできなかった。
 自身の家も川の増水による被害を受け、今も仮設住宅で暮らす小原さん。雨が降るたび、あの日の悔しさがよみがえる。村を出ようと思ったことさえあった。
 意を決して、妻の寿代さん(支部婦人部長)に打ち明けると「私は行かない。苦しむ人を残しては行けない」と。
 予想外の答えだったが、村を守る熱意が伝わってきた。
 山深い村。助け合わないと生きていけないことは、よく分かっていた。
 小原さんは腹を決めた。
 「村のために生きよう」
 生コンクリート会社の社員として、崩落した場所の補修工事などに当たる。
 今も復興に尽くす小原さんの声と姿に、「責任」と「使命」を自覚した人の強さがみなぎっていた。
     ◆◇◆
 十津川村の良さは?
 多くの人に、同じ質問を投げ掛けた。
 自然、温泉、世界遺産……さまざまな答えがあるなか、一番、村の人の顔が優しくなる答えがあった。
 「人々の温もり」
 共に泣き、共に笑う。共に支え、共に立ち上がる。
 日本の原風景を残す秘境。そこには、人間が本来持つ、心の美しさが生きている。

   (聖教新聞 2014-02-21)