止暇断眠(しかだんみん)・「心せよ!─弟子に対する師の厳愛の指導」

●我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(富木殿御書p.970)
富木常忍に与えられ、正法誹謗の罪の深さや、弘法・慈覚・智証ら悪知識の恐ろしさを示されている。
この御文に記された「之(これ)」とは、具体的に何を指すのか。日蓮大聖人は本抄で真言破折を展開される。そして、日本天台の座主や高僧たちが真言を用いてしまった理由は何なのかを問われる。この主題(=テーマ)が「之」にあたる。
そして大聖人は、その問いに対する答えを記すことなく、“わが弟子たちよ、このことを考えに考え抜け”と訴えられたのだ。
何が正義で、何が虚偽か。だれが正法の行者で、だれが善人の皮をかぶって人々をだましているのか。この一点を曖昧にしたまま、かけがえのない一生を安易に過ごしてしまえば、万年までも悔いを残すことになる。心せよ!──弟子に対する、師の厳愛の指導であると拝せよう。
また本抄で大聖人は、謗法の者や悪知識には決して親しんではならないことを教えておられる。そのためにも、だれが善知識で、だれが悪知識なのか、正邪を峻別(しゅんべつ)する眼(まなこ)を磨くことが重要になるのだ。「正義を求める心」は、「正義を証明する行動」へとつながっていく。
(『御書をひもとく 要文123選』創価学会男子部教学室編)

7月15日更新:3