目指すべきは「自分の完全性」と「他人の幸福」

2013年8月29日(木)更新:3
【名字の言】
 祈り方には二つある。相手を思い通りに動かそうとする祈り。もう一つは、相手の幸せのために支えていこうとする祈り。後者こそが、まっとうな祈りと言えるだろう▼「大白蓮華」8月号に載った教育本部・町田順司さんの誌上セミナーは示唆に富む。クラスをまとめるのに孤軍奮闘。が、生徒は応えてくれない。手痛い挫折の経験も。唱題に励むうち「相手を思い通りにしたい」との気持ちで生徒に関わっていた自分に気づく。以来、「自分のための生徒」でなく、「生徒のための自分」を志すようになったという▼幸福は誰もが望む。しかし”自分の幸福”を追求してはならない、とカントは考えた(『人倫の形而上学』)。目指すべきは「自分の完全性」と「他人の幸福」である。相手の幸せを祈りつつ、自らは鍛えと向上の日々を歩み抜く生き方だ。そこに、おのずと自身の幸福境涯も開かれよう▼これが逆になると、人の世は悲劇に陥る。つまり、相手にのみ完全性を要求し、それにより自分の幸福を実現しようとするやり方だ▼どんな難問に直面しても、まず自分が変わろうと腹を決める。それが、自他共の幸福を目指す創価の人生哲学だ。爽やかな風に包まれ、さあ、自分自身の新たな「人間革命」へ!(生)
   (聖教新聞 2013-08-29)