御遺命実現の為広布の広野を自在に疾駆できる様にしなくてはならない

2014年1月23日(木)更新:2
・『謗法の山には、わが魂は住まず!』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190728


【新・人間革命 正義 十八】
 宗旨建立七百年慶祝記念大法会が行われた一九五二年(昭和二十七年)、創価学会は、九月八日に独自の宗教法人として発足する。
 戸田城聖は、前年五月に、第二代会長に就任して以来、学会として宗教法人を設立しなければならないと考えてきた。
 それは、一つには、宗門を外護するためであった。
 御書に照らして、広宣流布が進めば進むほど、大難が競い起こることは明らかである。その時に、学会が宗門の一つの講(こう)という存在であれば、宗門自体が、もろに攻撃の対象になってしまう。そうした事態から宗門を守るには、学会が独立した宗教法人となり、矢面に立つ以外にないと考えたのである。
 また、広宣流布の新展開のためには、時代に即応した独創的な運動を自在に推進し、学会が最大に力を発揮していく必要がある。それには、自立した宗教法人として活動していくことが不可欠であったからである。
 戸田は、今後、ますます社会も複雑化し、人びとの生活の在り方や考え方も、多岐にわたる時代になることは間違いないと思った。
 そうした時代を迎えるにあたり、社会経験も乏しい少数の僧侶が、広宣流布の指揮を執り、学会を含めて一切を指導、運営していくことは、不可能にちがいない。
 戸田は熟慮した。
 ”残念なことに、僧たちには広宣流布への覚悟も感じられないし、実践も乏しい。学会が一日に千里を駆ける名馬であっても、その宗門が手綱を取っていれば、本当の力を出すことはできない。それは、結局、広宣流布の好機を逃すことになってしまうだろう。
 大法弘通という大聖人の御遺命を実現するためには、学会が広布の広野を、自在に疾駆できるようにしなくてはならない。
 それには、信者を基礎として宗教団体を構成し、社会の各分野で一人ひとりが活躍できる、新しい組織の在り方が求められている” こう結論した戸田は、宗教法人設立を決断したのである。
   (聖教新聞 2014-01-23)