妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり

2013年2月20日(水)更新:4
・『「立正」なくしては、真実の「安国」はない 』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20151214


【新・人間革命 勇将 六】
 日蓮大聖人の御生涯を、迫害に次ぐ迫害の人生としていったものは、大聖人が「広宣流布」「立正安国」を掲げられたことにある。
 すなわち、大地震、飢饉、疫病などによって苦悩する人びとの現実を見すえ、その救済に立ち上がられたことにある。
 当時、仏教界は、権力に迎合、癒着し、仏法の根本に立ち返って、教えを検証しようという姿勢も、努力もなくしていた。現実逃避など、人間を無気力にしていく宗教が、横行していたのである。
 大聖人は、人間の生き方の基盤となり、活力の源泉となる宗教について、根本から問い直し、人びとの胸中に正法を打ち立てようと、折伏・弘教の戦いを起こされた。
 その矛先は、国を治める指導者にも向けられていった。「立正安国論」による国主諫暁である。権力を掌中に収めた人が、いかなる考えをもつかが、多くの民衆の生活を大きく左右するからだ。権力者を諫めれば、大反発を招き、迫害に至ることは自明であった。
 しかし、多くの民衆が飢え、病に倒れ、苦悩している姿を目の当たりにして、仏法者として看過できなかったのである。
 まさに、「妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり」(御書七二○ページ)との大確信と大慈悲をもっての行動であった。
 それが、大聖人の御決意であり、そこに、仏法者の真の生き方の範がある。
 大聖人の果敢な折伏は、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、竜の口の法難、佐渡流罪など、激しい弾圧の嵐となるのである。なかでも、竜の口の法難は、命に及ぶ大法難であった。大聖人は「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」(同二二三ページ)と綴られている。
 ――日蓮という者は、去年(文永八年)の九月十二日の子丑の時(夜半)に頸をはねられたと仰せである。つまり、凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、末法の御本仏としての御境涯を顕されたのだ。発迹顕本である。
   (聖教新聞 2013-02-19)