春爛漫出会いと語らいの花を

2012年4月16日(月)更新:2
【社説】
 創価大学で開催中の「法華経――平和と共生のメッセージ」展(主催=東洋哲学研究所)が盛況である。
 人間と人生を肯定し、積極的に他者や社会と関わっていくメッセージが込められた「法華経」。人間が人間らしく、強く生きるとの法華経のメッセージこそ、人類救済の“智慧の光”であり、未来を開く“希望の力”となろう。
 釈尊はどこまでも対話を重視し、分かりやすく丁寧に、一人一人の疑問や不信を氷解させていった。いわば、経典そのものが“対話の結晶”ともいえる。

〈自ら心開けば相手も心開く〉
 小説『新・人間革命』には、座して瞑想にふける釈尊の一般的なイメージとは全く異なる姿が描かれている。これこそが、インド中を歩きに歩き、語りに語った「人間釈尊」の実像である。
 今日、コミュニケーション手段は多様だ。しかし、人と直接会い、語る中でこそ、心と心、人格と人格を通した、生きた交流が深められる。目の輝きや顔色、表情の変化など、一挙手一投足から、人のぬくもりを感じることができる。
 言うまでもなく弘教とは、単なる法理の伝達ではない。悩みを共有し、励まし合い、相手の生命に語りかける。その上で、現実の生活と社会に躍動する仏法を根本として前進する生き方を語ることである。互いの生命を高める触発の行為だからこそ、直接会い、語る行動に、全てが集約されている。
 私たちの対話運動とは、人間同士のつながりを失い苦悩する社会に、潤いと活力をよみがえらせるヒューマニズム拡大の活動であり、その根本は「誠実」と「真剣」である。
 自らが心を開けば、相手の心も開く。心通う対話によって、信頼と友情は拡大する。その行動は、自身の境涯の拡大にも通じていく。善き友を「善知識」と呼んだ釈尊は、善知識を持つことこそが仏道を成ずる「全て」と説いた。

〈膝詰めの対話が絆を結ぶ〉
 自らが動き、友と会おう。牧口初代会長が九州の地の新入会の友に会うため、高齢の身で列車を乗り継ぎ、足を運んだ話は、池田名誉会長のスピーチで学んだ要点の一つである。
 創価学会が築いた強靭な民衆のスクラムとは、一対一の膝詰めの対話の積み重ねで結ばれた「心の絆」に他ならない。春爛漫の今、さわやかな春風とともに“出会いと語らいの花”を、あの地、この地で大きく咲かせたい。 (聖教新聞 2012-04-16)